こんにちは!
先日新元号が「令和」と発表されたばかりですが、またもビッグニュースが飛び込んできました。
2024年に1万円札・5千円札・千円札のデザインが新しくなるという発表がありましたね!
財務相が発表した新紙幣の人物がこちらです。
1000円札の図柄は北里柴三郎、5000円札は津田梅子、1万円札は渋沢栄一。政府・日銀が2004年以来の紙幣(日本銀行券)刷新で「令和」への改元機運を盛り上げます。https://t.co/JJN3pIGIh5
— 日本経済新聞 電子版 (@nikkei) April 8, 2019
1万円札は渋沢栄一
「日本資本主義の父」ともいわれる渋沢栄一は、多種多様な企業や学校の設立・運営に関わった人物です。
5千円札は津田梅子
日本における女子教育の先駆者と評価される、女子英学塾(のちの津田塾大学)の創立者です。
千円札は北里柴三郎
日本の医学者・細菌学者です。
1万円札の顔となる渋沢栄一さんは、
「江戸時代の武士」
「官僚」
「実業家」
「第一国立銀行」
「東京証券取引所」
「一橋大学」
「東京経済大学」
などなど、本当に様々な会社の設立や運営に関わったことから、
『日本資本主義の父』
と称されている人物なんです。
今回はそんな渋沢栄一さんの末裔(子孫)、家系図、功績、記念館などについてまとめていきたいと思います!
Contents
渋沢栄一の経歴
名前:渋沢栄一(しぶさわえいいち)
生年月日:1840年2月13日
死没:1931年11月11日(満91歳没)
出身地:武蔵国榛沢郡血洗島村(現在の埼玉県深谷市血洗島)
渋沢栄一さんは父親・渋沢市郎右衛門元助と母親・エイの長男として生まれました。
幼名は「栄二郎」という名前でした。
その後、「栄一郎」「篤太夫」「篤太郎」と名乗っていったそうです。
渋沢の実家は「藍玉の製造販売」と「養蚕」を兼営し「米、麦、野菜の生産」も手がける豪農でした。
渋沢栄一さんも幼いころから実家の商売を手伝って育ち、
14歳の時からはひとりで藍葉の仕入れに出かけるようになっていました。
そのため、日ごろから算盤をはじく商業的な才覚が求められたとのことですが、
幼いころからこうした経験が
その後の会社の設立・経営に携わることにつながっていったんでしょうね。
ちなみに、明治時代に実業家として活躍したことで有名な渋沢成一郎は渋沢栄一さんの従兄なんです。
なんというか、育った環境ってその後の人生に影響を与えているのかなって思っちゃいますね。
何か大きなことを成しているしる人のまわりには似たような人が集まるものなんでしょうね。。^^
渋沢栄一の末裔(子孫)や家系図は?
1931年に91歳で亡くなった渋沢栄一さんはもうこの世にはいません。
「渋沢栄一さんの末裔って何しているんだろう!?」
と思い調べてみると、その人数の多さと多種多様の活躍ぶりに驚かされました。
渋沢栄一さんは1858年の19歳のときに従兄の尾高惇忠の妹・尾高千代さんと結婚しました。
ところが、尾高千代さんは1882年にコレラが原因で亡くなってしまいます。
その後、兼子さんという女性と再婚しましたが、渋沢栄一さんには多数の愛人と関係をもっていたので、
子どもは庶子を含めて20~50人いたと言われているんです。。
子どもが数十人ていう単位、現代じゃ考えられないですよね・・・笑
渋沢栄一さんてスケールが違いますねぇ
子どもがこの人数なので、孫・ひ孫となるとさらに人数が増えていきます。
そして、子どもからひ孫にかけて、多方面で活躍しているのがわかりますね。
【子供】
長女 歌子(1863年 – 1932年) → 法学者の穂積陳重男爵に嫁ぐ
二女 琴子(1870年 – 1925年) → 大蔵大臣、龍門社理事長となった阪谷芳郎子爵に嫁ぐ。
長男 篤二 (1872年 – 1942年) → 澁澤倉庫会長、妻は伯爵・橋本実梁の娘敦子
二男 武之助(1886年‐1946年) → 石川島飛行機製作所2代目社長
三男 正雄(1888年 – 1942年) → 日本製鐵副社長であり石川島飛行機製作所初代社長
三女 愛子 → 澁澤倉庫会長、第一銀行頭取、龍門社理事長となった明石照男に嫁ぐ。
四男 秀雄(1893年 – 1984年) → 東京宝塚劇場会長、東宝取締役会長。
庶子 ふみ → 母は大内くに。東洋生命社長となった尾高次郎に嫁ぐ。
庶子 照子 → 母は大内くに。富士製紙社長となった大川平三郎に嫁ぐ。
庶子 星野辰雄 → 東京印刷社長・星野錫の養子になり、のち立教大学教授
庶子 長谷川重三郎(1908年 – 1985年) → 第一銀行頭取。
養子 平九郎 → 栄一の妻千代の弟
【孫】
穂積重遠 → 歌子の長男。法学者、最高裁判事。
穂積真六郎 → 歌子の四男。参議院議員。
阪谷希一 → 琴子の長男。満州国総務庁次長。中国聯合準備銀行顧問。
渋沢敬三 → 篤二の長男。子爵、民俗学者、澁澤同族社長、澁澤倉庫取締役、第一銀行副頭取、日銀総裁、大蔵大臣
渋沢信雄 → 篤二の次男。貿易商。澁澤倉庫監査役、妻は音楽教育家齋藤秀雄の妹。
渋沢智雄 → 篤二の三男。澁澤倉庫常務。
鮫島純子 → 正雄の次女。鮫島員重(岩倉具視の曽孫、鮫島具重の子)の妻。
明石正三 → 愛子の三男。足利銀行監査役。
明石武和 → 愛子の七男。味の素常務。
渋沢一雄 → 秀雄の長男。アコーディオン演奏者、音楽家。
渋沢華子 → 秀雄の三女。小説家。
尾高豊作 → ふみの長男。実業家、教育者。
尾高朝雄 → ふみの次男。法哲学者。
尾高邦雄 → ふみの三男。社会学者。妻は哲学者和辻哲郎の娘。
尾高尚忠 → ふみの四男。指揮者、作曲家。
【曾孫】
渋沢寿一 → NPO法人樹木環境ネットワーク協会専務理事。
渋沢雅英 → 敬三の長男。渋沢栄一記念財団理事長、東京女学館理事長、イニシアティブス・オブ・チェンジ顧問。
阪谷芳直 → 銀行家、エコノミスト、思想家、翻訳家。
穂積重行 → 西洋史学者。
岩佐美代子 → 国文学者。
石黒孝次郎 → 古美術商、レストラン経営者。
久留都茂子 → 東京女学館短期大学学長。
尾高煌之助 → 経済学者。
尾高惇忠 → 作曲家。
尾高忠明 → 指揮者。
河野典子 → 河野雅治駐ロシア特命全権大使の妻。
大川慶次郎 → 競馬評論家。
諸井勝之助 → 会計学者。諸井貫一(渋沢家・尾高家の遠戚)の婿養子。
引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/
渋沢栄一さんの家系図についてはこちらをご覧ください。
渋沢栄一の功績
渋沢栄一さんは、じつに500にのぼる企業の設立・育成に携わったそうです。
規模が大きすぎてついていけないですよね。。
一生のうちに3桁の企業、しかも設立だけじゃなくてそのごの育成にまでかかわるなんて、
どんな日々を送っていたんでしょう!?
しかも携わった企業のなかには大企業も含まれているんです!
みずほ銀行
澁澤倉庫
王子ホールディングス
王子製紙
IHI
いすゞ自動車
太平洋セメント
清水建設
東洋紡
川崎重工業
第一三共
損保ジャパン日本興亜
朝日生命保険
キリンホールディングス
などなど、多種多様の大企業に携わった渋沢栄一さんですが、
それは日本の近代化のために社会に必要な産業を担う新しい企業を設立して、
軌道に乗せることのみ情熱を傾けたと言われています。
そしていわゆる経営支配を行うことには関心がなかったそうです。
家族などが会社経営において責任ある立場にいたのは第一銀行や澁澤倉庫など限られた企業だけでした。
渋沢栄一さんがこのような考えをもっておらず、
携わった企業すべて親族経営してきていたら、
ひょっとしたら日本の経済は違ったものになっていたかもしれませんね。
渋沢栄一記念館
埼玉県深谷市に「渋沢栄一記念館」があって、遺墨や写真など、
たくさんの資料が展示されています。
新札の影響で今後観光客が殺到すること間違いなしのスポットですね^^
要チェックですよ~
〒366-0002
埼玉県深谷市下手計1204
電 話:048-587-1100
ファクス:048-587-1101
最後に
いかがでしたか?
渋沢栄一さんについて気になることをまとめてみました。
2024年から渋沢栄一さんのお顔(1万円札)がたくさんお財布に収まっているといいなぁ。。笑
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最後までお読みいただきありがとうございました。